理事長及び理事挨拶


◆理事長及び理事挨拶

理事長 内川 昭彦

「あなたの帰ってくる居場所は、ここにある。」

一般社団法人 未来への道標は「ビジネス拡大」していく中で、「応援と協力」しなければならない精神疾患の方々、生活困窮者の方々で一番支えていかなければならない方々が、企業の基準から外れていく姿を経験して、ご本人、ご家族、支援者で、設立したのが、一般社団法人 未来への道標です。

グループホームで、「問題行動」をおこした。吠えてしまった。壁を殴ってしまった。パニックになった。
その「問題行動」で、医療入院、措置入院させられてしまった、グループホームを退去させられた。

「問題行動」を、問題視する支援者・・・でも本当は、彼ら彼女らが「問題行動」する前に何回も課題があったのに・・・誰も気づいてくれない・・・支援者が、一般の物差しでしか支援できない・・・彼ら彼女らの物差しを理解してくれたら「ギャップ」があることに気づいてくれたら・・・「ギャップ」をお互いに埋める努力をしてくれたら・・・
「問題行動」は、無くなるかも・・・少なくなるかも・・・そんな現実に支援者として目にした。

だから私たちは、お互いの物差しを理解していく事を大事に「グループホーム」や「居住支援」という事業を通じて、最後までお互いに寄り添える環境を創っていき、社会に自立していく人財を「応援と協力」しながら地域と共に半歩、半歩、半歩ずつコツコツと歩んでいく一般社団法人を設立しました。
そしていつでも、帰ってこれる居場所を創り続けたいと思っています。感謝

理事 小針秀夫

だれでもいつでも互いに支えあう

「居場所」(サードプレイス)を創り上げること

当事者家族の思いから

息子が精神疾患の一つである発達障がい者であると病院から告げられた時は、彼が大学卒業後のことである。

息子の物心がつき始めるころから言動には少し不安を感じてはいたものの、仕事の忙しさにかまけて過度には考えていなかった。

その後、発達障がいと診断されてからは、そのような精神疾患を抱える人々の自立・雇用につなげるための民間施設が経営する「就労移行支援」に入り、訓練を受けることになった。しかし、このころには症状も一段と進行しつつあった。

息子は自宅からの通いとはいえ、相変わらず私自身の仕事も忙しく、思うように彼の話を聞いてあげることができず、「就労移行支援」任せであった。それが、症状を進ませる一因ではないかと考えていた頃に、別の「就労移行支援」の責任者であった内川昭彦氏と知り会うことが出来た。

内川氏との出会いは「目から鱗」であった。信念とともに、さまざまな障がいを持った人々を一人残らず,その人に合ったかたちで、地域に、社会に、職場へと参加させていく進め方に、強い共感を得ることができ、同時に当事者である家族のかかわり方についても多くを学ぶことができた。

精神に障がいを抱える人々の特性は複雑で、当事者やその家族でさえも容易に理解できるものではない。精神障がいを抱えている人々にとっては、改善の兆しが見えず、次の世代へも取り残されそうな様子を帯びている。彼らは、治療のために一つの病院だけに留まらず、いくつもの施設を転々と動き、自分に見合った医療施設や住居さえも確保することが困難な状況にある。

未来への道標」の活動を通じて、当事者、その家族、医療従事者、施設従事者を始め、地域で暮らすすべての方々や自治体・国・企業などさまざまなかかわりの中で、当事者たちの思いを伝える活動を続け、何よりも私たち家族を含めた当事者たちが寄り添い支えあう「居場所」(サードプレイス)としての一歩を踏み出していきたいと考えている。

理事 野中健次

1.何故、社団法人を設立したのか?

日本の障がい者への福祉サービスは非常に遅れており、特に障がい者支援における国や地方自治体の対応は形式的な対応に過ぎず、個々への支援は民間及び家族任せというのが実態である。

例えば、障がい者手帳・年金、生活保護をはじめ、生活援助や就労移行などの障がい福祉のサービスメニューは多々存在するが、福祉の仕組みは複雑かつ行政は申請主義である為、サービスの存在や申請方法についても、家族が調べて都度対応するか、相談支援事業所等へ相談しなければなりません。よって、家族や身寄りのない方、福祉サービスの存在自体を知らない方はサービスを受けられず、社会から取り残されてしまいます。

また精神疾患や生活保護の方はほとんどが無職である為、賃貸住宅の契約は困難を極め、家族や知人の支援も受けられず孤立し、ネットカフェや簡易宿泊所での生活から行く末は路上生活に陥る方も存在します。よって、まず社会で生きていく上での最優先事項は、安心して暮らせる住居の確保です。

そして次に福祉サービスの利用、定期的な通院、就労支援、社会参加と一連の流れにより最終的に自立を目ざせるよう支援して行きたいと思います。私共の代表理事である内川昭彦氏の考えに賛同し、私も本社団法人に理事として参加、障がい者・生活困窮者への社会参加を支援し、共生社会の実現を目指していきたいと考えます。

 

2.社団法人を通じて何を望まれているのか?

近年、うつ病・統合失調症・発達障がいなどの精神障がい、また引きこもりによる8050問題、その延長線上にある親による子供の殺害など、以前はあり得なかった事が社会問題となりつつあります。私の身近にも、引きこもりや精神障がいのお子さんを抱えたご家族が複数おります。

当の私も精神障がいの子供を抱えておりますが、将来親が居なくなった場合、自立して生きて行ける為に今から準備しておかなければなりません。それは、一人で生きていけるスキルを身につけ、自立した生活が出来る事です。

例えば、掃除・洗濯・食事の準備・金銭管理・通院など、出来ない事は支援を行い、少しずつ出来る事から対応し、行政・福祉事務所や病院と連携し応援をしていく事が必要です。また、日中活動・社会参加も行い、社会に適応できる人間関係の構築も必要でしょう。その為には、常に人に寄り添い温かく見守ってあげなければなりません。

そこで何よりも基本となる事は、安心して暮らせる住居の提供と精神の安定です。居住が確保されなければ、何も出来ません。精神障がいを抱えた方は問題行動も多く、一般的なグループホームの場合、入居のハードルは非常に高く、仮に入居出来たとしても、問題行動が発生した場合は即退去を要求されます。日本の福祉は民間任せで、手間のかかる面倒な方の行き場はなくなっているのです。
そのような偏った都合の良い福祉とは決別し、決して見捨てたりせず最後まで寄り添う、人にやさしい福祉を目指し、誰もが自立した生活を送れる社会になる事を希望します。

 

3.今までの経緯、家族の苦労を含め、どのような支援が継続的に必要か?

自分の子供の精神障がいを疑った場合、親はまず何をするのでしょうか。
一番は精神科病院を受診する事と思います。そこで近くのクリニック等へ電話をしますが、初診予約は早くて1ヶ月先、精神科専門病院や大学病院などは2~3ヶ月先が当たり前というのが現状です。また、予約当日に病院へ連れて行くのも一苦労で、幼児期や学童期であれば親の言う事を聞けますが、小学校高学年以降ともなると病気でもないのに病院へ行く事に疑問を感じ、連れて行くのも難しくなっていきます。

発達障がいを例に挙げると、幼児期に子供の発達に疑問を感じ早い段階で対応が出来れば、適切なサポートも可能ですが、発見が遅れるほど対応が難しくなり、家庭や学校・社会で問題行動を起し、いずれ警察のお世話になる状況となります。

私の子供の場合、精神科クリニックの受診が14歳、同時に市の福祉課、こども支援センター保健センターなど、複数へ相談をしても適切な対応がされないまま時間だけが過ぎ、16歳の時に家庭内暴力により児童相談所で一時預かり、その後は国の児童自立支援施設へ入所する事となりました。しかしそこは入所期限の関係上何も改善がされないまま退所、その後全寮制高校へ入学させましたが、そこでも問題行動があり退学、その後は入退院を繰り返し自立出来ないまま社会から取り残された状態となっております。

ここまで至るには有給休暇を使い切るほど会社を休んで対応、妻は自律神経失調症で体調を崩し、また親の介護も重なり私自身も精神的に追い込まれる状況に陥りました。

なぜそうなってしまったのか、それは役所・病院・施設などそれぞれが分断され連携されていないからです。幼児や学童であれば、社会のフォローもありますが、義務教育が終了する16歳高校生年齢以上になると、役所も学校も施設も何も対応はしてくれません。「あとはどうぞ家族で対応して下さい。出来る事はここ迄です。面倒な方は出て行って下さい。好きにして下さい。」と放り出され誰も助けてはくれません。それが日本の精神障がい者に対する対応なのです。

きっと、家族に精神疾患の方を抱えておられる他のご家族も、同様の悩みを抱えている事と思います。まずそのご家族に寄り添い、役所・相談支援事業所・病院などと連携し、各個々人のメニュ―に沿った自立計画を立てていく事が重要と考えます。それは焦らずゆっくりと本人を見守りながらまた、何かあっても決して見捨てず最後まで支え続ける支援が必要です。

当事者スタッフの想い

「アスペルガー症候群・パニック障がい」と診断を受けて10年経ちます。会社を転々として、どうにも仕事が続かず悩んでいました。毎日の生活でも、人目が気になって自分では制御がつかないこともありました。

そんな中、数年前に理事長とお話しできる機会があり、まずは実家を離れ、グループホームで生活力をつけながら、職場実習も同時並行で行うという暮らしをスタートさせました。

そして今はこの会社に就職をすることができ、親からの援助と、障がい年金・現在の仕事の賃金でやりくりをしながら単身生活をしています。

実家にいたころと比べると、少しは成長できているのかなと思います。周りの方々のサポートも受けながら、徐々に自立への道を歩んでいる半ばです。

 

◆代表履歴

ビジネスマンとして

20代は、証券会社で営業として活躍しマクロ経済を学びました。

30代は、日本、台湾を拠点に中国、韓国、トルコと海外ビジネスを展開してまいりました。

40代は、建築界の大御所であった黒川紀章氏の秘書・財務担当として実印を任され最後の最後で黒川氏の弟子として「思考力」を学び、福祉の世界に「人生の最後の志事」として決め歩みだしました。

そして現在50代は、社会福祉法人の常務理事等も歴任し「高齢者」「障がい者」「生活困窮者」「児童養護施設OB」に特化した株式会社を経営しておりましたが、ビジネス拡大路線でなく、一人ひとりに寄り添える「志事」を目指すため、新たに一般社団法人 未来への道標を設立して活動を開始しました。

目指すは、障がい者・生活困窮者が、社会で自立していける未来の実現に一歩、一歩、一歩「心の汗」「脳の汗」「体の汗」をかいて、私の人生をかけて臨んでいきます。

■ 講演及び活動実績

・日本職業リハビリテーション学会第45回栃木大会

・日本精神障がい者リハビリテーション学会第27回大阪大会

・全国障がい者雇用事業所協会首都圏支部

この他、IPS協同学習会等で、多数の医師、ソーシャルワーカー、支援者と共に講演実績がある。

講演をさせて頂いている前提として、「こころのアウトリーチ」として、大手病院の急性期病棟で入院患者様の心の声を聴いて、医師やソーシャルワーカーに声を届ける活動をしている。又、法務省観察所からの依頼で、アドバイザーとしてカンファレンスに参画もしている。

ひきこもりの方やそのご家族と共に「こころのアウトリーチ」の活動も継続しておこなってきた実績がある。

■内川昭彦 プロフィール

誕生日  昭和40年10月

生誕地 大阪市

趣味  ミュージカル鑑賞、ラグビー観戦

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